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生物学上の父親に俺がボコボコにされるのを見殺しにしたよな

デス書き込み

俺がいい子を演じていたのが悪いんだろうが、あのクソ野郎は面倒ごとを全て俺に押し付けていた。下二人の世話とかこつけて、5歳くらいから家事ばかりやらされていた。ガキならできなくて仕方ないことばかりなのに「手際が悪い!」とよく怒鳴られた。冷たい水で家事ばかりさせられて手がいつもボロボロだった。姑と上手くいかない愚痴を俺にいつも浴びせていた。旦那の悪口をいつも俺に言っていた。俺には条件付きの愛情しか与えなかった。抱っこして、と言っても「下二人がいるから、お兄ちゃんだから」と突き放されていた。

いつも母親が喜ぶように行動するのを強制されていた。理想像から外れた息子は息子ではない、という考えだったのだろう。機嫌を取ろうと「これ美味しいね」と言ったら「出来合いの惣菜が美味いっていうのか!」とヒステリーを起こして皿をスプーンで叩き割り、床に料理をぶちまけて「そこで食ってろ!」と叫んでいた。生物学上の父親に俺がボコボコにされるのを見殺しにしたよな。ナイフで刺してでも止めろよ。腰抜けが。

いつも体裁ばかり気にしていた。小学生の頃に夏休みの宿題で必ず金賞をとれ、完成するまで出てくるな、と言われて部屋に監禁されたこともある。当然親切に教えることなどなかった。小学生には到底できないレベルの折り紙をやらせて、できないと激昂して紙を引き裂きながら猿のようにキーキーと叫んでいた。

中学で少し成績が良く、高校は学区内で一番の進学校に行ってしまったせいで、体裁デスレースは激化した。いつも家では医者の家庭のことばかり話し、当てつけとしか取れないことばかり言っていた。「あんたをやる気にさせるため」との名目で、当時俺が好きだった子と医者の息子を電話で呼び、図書館に連れて行かれた。車内では医者の息子を褒めまくり、俺を「こいつは本当にバカで」などと下げまくり、好きだった子の前で赤っ恥をかかされた。死ぬほど屈辱だった。

医者の家庭が羨ましいのか、いつも他人の家庭のことを話していた。医者と結婚すればもっといい庭が作れて自慢できたのに、とうるさいので、じゃあ離婚するかてめえで医学部入れや、勝手に自分の理想を押し付けんな、と言ったら死角から思い切り耳を狙ってビンタされて鼓膜が破れたこともある(当時は耳になんか入っている感じでほとんど聞こえないな、と思っていたが。今になれば鼓膜破れてたと思う)。

あとこいつも旦那と同様に、俺の病気を重症化するまで放っておいて、死ぬ寸前に病院に連れて行き、献身的な親アピールをすることで満足していた。咳が止まらないから病院行きたい、と言っても聞かれず、放っておいたら肺炎になり、肺に穴が空いて死にそうになった。医者が「肺が真っ白でひどい肺炎ですね。右の肺は大きさが1/3になっています。すぐ手術してください。両方同時だったら危ないところでした。」とすぐに入院させてくれたからいいものの、放っておかれたら死んでいた。手術が終わってぐったりしている俺を「記念撮影」と言って写真撮っていた旦那を止めないあたりも狂っている。
胸膜炎になって胸に水が溜まっても病院に行けなかった。真夏なのに40度の熱で寒くて震えてるのに。

いつも庭とアンティーク家具のことばかり考えていた。俺の生活費や就職費は惜しんで作った200万(もしくはそれ以上)で庭をリフォームできてよかったな。

こいつも俺の夢を全否定した。いつも他人の息子を見て勝負させることばかり考えていた。俺はあいつにとって自分を良く見せるためのアクセサリーでしかなかった。人格として尊重されたことはない。何が「うちがどんなに恵まれているか、教会で皆さんに証しなさい」だ。一回も幸せなんか感じたことねえよ。お前は俺の人格を全否定したからな。

今度は俺がお前を全否定してやる。安穏と死ねると思うなよ、愛情のある躾(笑)をしてくれたから、俺も愛情(笑)を持ってあんたを躾けてやるよ。てめえのクソ旦那と同様の地獄を味わえ。

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