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助け合いと言いながらその定義は女帝の都合のいいことだけが家族の助け合いの定義で

デス書き込み

女帝への憎しみと殺意は限界を超えた。
俺は、最近病院への入院の件などでいろいろ忙しく、今日朝一番で簡単に終わるはずの用だった病院での用事が予想をはるかに超えるスケールに発展して、病院を出るのに午前中いっぱいまで時間を要した。
やっと帰れば家の飲み水が無くなったからと、俺は不本意ながらまた女帝を助手席に乗せて運転しなければならなくなった。

助手席に乗っている女帝は何かきっかけがあるとそこから親父の体調の悪さや「お父さんがおらんなったら我が家は行かれん」の連呼、今日その引き金になったのは、車内に水を汲んだボトルを拭くためのタオルが用意できていなかったことと、水汲み場への途中の狭い道でトラックと離合するときに、民家の入口に避けた時に手前に置いてあった大きな石を誤って踏んでしまったこと、それだけで親父を引き合いに出して家族の危機を煽ったり車が壊れたら終わりなどと俺の責任を執拗に追及したりして俺がいくら止めても火に油を注ぐ結果にしかならず、車内はメチャメチャになった。
さらに女帝は、俺の過去の話を何度も蒸し返して他人と比較して(俺が当時大学を中退して定職についていなかったこと)の人格攻撃を執拗に繰り返し、俺の心はズタズタにされた。
そして、また「家族は助け合っていかなきゃ」というお決まりの常套句、助け合いと言いながらその定義は女帝の都合のいいことだけが家族の助け合いの定義で、俺は滅私奉公という犠牲を強いられる。
俺は不本意に運転手をやらされてるのに、女帝のあまりの暴走に反抗して引き返そうとすると、「燃料代の無駄やー」とか「食事代の無駄やー」と何度もわめき出す。

そして、案の定女帝の暴走は極まり、俺がいくらやめろと言っても聞かず、手が付けられなくなった。
俺は、今度ばかりは自分で車を降りて反抗を試みたが女帝はヒステリーを起こしながら俺を追いかけまわした。
意表を突いて女帝を置き去りにすることも試みたが叶わなかった。

今回家族の助け合いをぶち壊しにしたのは他ならぬ女帝だ。
そもそも、水を汲みに行くという目的を果たすため運転している俺の気持ちを乱さないことこそ「助け合い」じゃないのか!?
助手席から不快な発言を繰り返して、運転している俺の気分を滅茶苦茶にしている時点で女帝こそが家族の和を乱していることは明白なのに。

それ以来、帰り道の運転から今まで俺はずーっとぼーっとしてる。
そして、一億回自殺したいくらい絶望してる。
俺の人格も存在もみんな完全に否定され、俺はこの先もっと奴隷としてしか生きられず、自分の人格を女帝に踏み躙られていくのか。

コメント ( 1 )

  1. 初めまして。私の母も似たところがあります。本人に(信じられないことに)聞いてる人を不快にさせているという自覚がまったく無いんですよね。今度、そういうとき我慢しながら母の不快な台詞の一部始終を録音しておいて、なんでもないときに聞かせてみようかなと企んでいます。もし主さんもまた似た状況になったとき、暇だったら、ぜひやってみてほしいです。そして反応を教えていただきたいです。

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