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震えながら暖房の間近にいた。歯はガチガチと震え、目からは大量の涙がこぼれ落ちる

デス書き込み

私がこれから生まれるところは子供の金をパチンコに使いまくるクソジジイと、まだ幼い子供を殴る蹴る、お風呂の水に顔を押し付けたりラップの芯やその他もろもろで叩いてくるクソババアがいる家だ。

私の家の家庭内ヒエラルキーは1位ババア。2位や3位はない。ジジイは完全にババアの言いなりだ。だというのにタバコは辞めないし金を盗んでパチンコに行く。
そしてババアに怒鳴られる。

その後私が幼稚園の年中か年長頃になるとついに離婚する。

無料で住める貧乏人ばかりのところに一時住むことになる。そこにはキッチンは水道しかなく、本当に狭い部屋が1部屋だけの場所だ。お風呂やトイレは共同。
ババアにお風呂へ行くまでの道のりをプール授業でよく使うでかいタオルのようなものに裸の状態でくるまりなさい。
と言われたが、嫌で嫌でしかたなかった私は拒否をしていた。

すると「ならもう何も着ないで歩け」と言われ、お風呂までの長い距離を裸で歩かさせられた。
途中女性の人たちとすれ違ったが、今思うと明らかに私は変な子供だった。

その日のお風呂で顔面に水を掛けられたり浴槽の水の中に頭を沈められた。

夜中ババアに怒られると暗い部屋の中で起こされてババアの気が済むまで怒鳴り続けられる。とても眠いがここで寝たら更に怒られる。眠気と恐怖で毎日が辛かった。

次の家はそれまでよりも広かったが、明らかに一人暮らし用の家だった。
キッチンもお風呂もトイレもあるのが幸いだった。
ただ、玄関がとても狭く、一般的な家のトイレくらいしか無かった。
一般的に廊下という場所は僅か30センチほどしかなかったのだが、ババアに怒られるとその玄関で寝させられる。
部屋に入ってくるなと。

冬に怒られると窓からほぼ下着の状態で雪の上に投げられる。そのまま10分ほど経ったあと部屋に戻された。霜焼けが幼い肌には辛かった。震えながら暖房の間近にいた。歯はガチガチと震え、目からは大量の涙がこぼれ落ちる。

真冬でも真夜中に怒られると外に出される。吹雪の中でも出された。
近くの公園に行く。誰かに見られないか、という不安と恐怖で心は極度の緊張状態。

いくらその後優しくされてもあの時の気持ちは消えない。

今住んでいる家に引っ越すと、暴力は更に増していく。
殴る蹴る、食事を抜く、ものを使っての暴力、家から締め出す、口と鼻を塞ぐ、怒鳴る。

お前が悪い。死ね。ぶっ殺してやりたい。消えろ。車に轢かれて死ね。ジジイに似てクソだな。黙れ。ここの家で一言も話すな。出てけ。今すぐ出てけ。鍵置いていけ。お前に食べさせるご飯は無い。

私が非行を繰り返すのは、何故か?と聞かれても私にも理由が分からない。
私自身にも分からないんだ。まずそこの時点でも私は欠陥品なんだ。

小さい時からこの親の元で育った私が、親に怒られるであろう、暴力を振るわれるであろう非行を繰り返し続けた小学生時代。
なぜそんなことをしたの?と第三者に聞かれても、ババアに聞かれても、自分自身が聞いてみても、答えは「分からない」

しいて原因を上げるとするなら、親を完全に嫌いになれたら警察に助けを求められると思ったから。
だと思う。よくここでも見かけるが、どんなに親に暴言を吐かれても好きだった。
というものがある。私は依存しているんだと思う。

あぁ、本当に憎い。恨めしい。殺したい。
だがそんなことで私の人生は終わりにしたくない。死ねと呪い続ける事しかできない。

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

親が目の前にいるこの状況で私は今も呪い続けている。
次暴力を振るわれたら全力で戦う。

駄文の長文、申し訳ありませんでした。
心の底からここに生まれてきたことを後悔する高校2年生からのデスノートは以上です。また機会がありましたら、書き込ませていただきます。

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