すっごいストレス溜まると髪の毛も傷んでるのをばりばり剥いちゃう デス書き込み 約10年間を返して欲しい。 田舎の兄弟差別、長男教、男が偉いみたいなの本当に死んで欲しい。(父と祖父)周りの奴らも、 自分なりに早く高1から美大に向けて取り組んでいたのに、特に何にもしてこなかった普通の奴には大学へ行かせるんだ、、。 私にはそんなこと行っても何なるんだと、 学びたいものが明確にあるのに?、大学の資料も集めて、オーキャンにまで行っていたのに? 男女差別。遠方の大学へ2時間かけてわざわざ通学して油絵やデッサンを学んでいたのにもかかわらず?、夏期講習の画塾まで行っていたのに、そんな努力は”あそび”とでも思っていたらしい。市内の画塾行くのも許されず、死にたさいっぱいで過ごした高校生でした。しまいに三者面談のときはあまりの悔しさで号泣してしまい、付添の母は何も言わず、無関心。死んだーーー。え、なんで?と なり、父親に逆らえないからかーと確信。 ドンって強く打たれたようなもう死にたいしか思えなくて美大に行けないと悟るとアムカがはじまった。すっごいストレス溜まると髪の毛も傷んでるのをばりばり剥いちゃう。(これは中学から)ずっと内に隠して親自体が(父親)モラハラ気質で倫理的に合わないこと、すぐ怒鳴る、気に食わないことあると当たり散らす、誰の金だと思ってるんだと威嚇、自分勝手、見栄を張りたがる。 死んでくれーー、本当に死んで欲しい。 なんでフツーに生きてんだよ、 それからは専門に行ったがここじゃない感がすごくて、住まいのアパートの狭小のストレスといい、過食に走っていた。お腹いっぱいになるまでとにかく食べる。気持ち悪くても食べる。袋麺をそのまんまタレをつけてばりばり美味しくないけど食べる。スパム缶を調理しないで1缶食べる。(極しょっぱい) しまいにな、冷凍のものをそのまんま食べる。つめたいままばりばり、食べなきゃ食べなきゃ食べなきゃと焦っていた日々。 これが精神的におかしいことに気づいていなかったのは、 あの父親ゆえ、我慢しか強いられていなかったので、もう、自分の感情のストッパーがわからなくなっていた。途中で不登校気味にもなったし、それでも私がいけないとばかり。 なんで行ったんだろうと今でも思い返す。 お陰で10年経っても悔しいと悲しい気持ちがおそいかかる。涙が止まらない。喋りたいことが喉の奥でつっかえる。怒鳴り声で動悸、否定感情、死にたい。誰のおかげでこんな風になったのか、、、。 鬱という症状で通院がもう2年続いている。何故私がこんな目に?成人して幾分、現在無職。社会的地位も経済力も情緒も不安定。何にもない自分。挑戦させてくれなかった親への恨み。上が地元に帰省する度に思う、正社員マウントと自家用車の所持で私のこと見下して優越感に浸ってそーと。 いつも思う、 何故わたしだけ、通院してるんだ? これはいつまで続くのか? アイツら(両親)はなんでフツーに生きてんの?なんで生きられるの? なんでなの? 106472022/8/7(日) 4:14:270