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どうにもならないと思い弱くなったり 瑣末なことの積み重ねで強くなったりする

デス書き込み

自活できる年令になってもなお
母親を憎み軽蔑する気持ちが

どうにもならないと思い弱くなったり
瑣末なことの積み重ねで強くなったりする

他の時間と手数に
気の毒という観念がまるでなく
優しくない世の中だと不平不満を漏らし

何も持たない上に何もしない
人様や子供に頼り切って生きている事実に

自分を省みることのできない
彼女を強く非難することも多いが

一向に自分に非があるという反省の念もなく
まるで文句を口に出す私が
人でなしだと宣い逆上してくる

そしてその時には
やはり自分を省みることのできない相手を
根気強く指摘したところで
埒の明かない応酬が続く

いや、結局は
自分のことしか考えていないということが
目に見えて明らかになっていき
開き直った態度へ納得ばかりを求められて
指摘したことを後悔するばかりだ

「わたしはあんたたちを思ってこうした」
「わたしは見ていないところでやっている」
「何もしていないように見えるだろうが
 わたしだって苦労しているんだから」

わたしわたしワタシ!!

それだって関係のないところから
自分のことばかりを持ち出し
論点がズレているから
納得なんてできるはずもない

責められた気になって
大慌てで口だけで後付けをしようとした
内心が透けて見えているのは承知しているぞ

弁解するにしても
なぜ話題を逸らそうとする?
やましさからくるのではないか

結局は自分は悪くないと思っている
という結論でよろしいか?
正しいと思い込んでいるのならば
話の意味はないから止めにしよう

と終息することが多い

偶になぜ
そうも自己肯定感が高くいられるのか
そのために人を見下していられるのか

(やれあの人は自炊ができないとか
食べ方が汚い冷たい男にだらしないなど
主に同じ女というものを見下している

あなたが話題に出したそういう人達こそ
子供を大学に出しその為に日中夜働いたり
趣味に輝き身だしなみや言葉遣いなど
人に負担をかけないよう気遣い
居場所をつくるため人に好かれるための
見えない努力をしているのだ
とまで伝える)

本人に問いを投げかけたことがあるが

「見下してなんていないよ
わたしは苦労しているし優しいからね」
と開き直りの言種にうんざりするばかりだ

どうやらこの人の「優しい」というのは
自分から怒りを向けないことをいうらしい

自分が怠惰な分
人に怒れる材料がないというだけで
それは果たして優しさなのだろうか?

何もしないで生きていようというのは
横着な了見だし
人は自分の有っている能力を働らかせないのは
張り合いがないのではないか
やりたいことはないのかと問いかけても

「いまはなにもする気が
起きないんだから仕方がない」

ならばなぜこの何もしたがらない
ただただ食って寝て起きるだけの
横着もののために
思いっきり我々に皺寄せがくるのか

その不条理さを嘆きたいのは
こちらのほうなのである

と思うだけに留めても仕方なかろうと

伝える努力もしてみたが
本人に全く響かないのが甚だ不思議なのだ

テレビのニュースを見ながら
暴力や犯罪がないだけで
立派な人間であると
どうやら信じているような口振りで
自分は幸せでいていいはずだと
口には出さないが信じているようだ

全く理解ができない

こんな態度や口振りの人間の人生を背負えるほど
私や兄も人間できていないし余裕もない

むしろこの人を愛して
うまくやっていける人がいるのならば
教えて欲しいくらい

自分の伝え方や根回しが悪かったかと
反省するばかりで
答えのでない
「毒親問題」に疲れ果てるばかり

親としてではなく
ひとりの人間として自立するための
助言や助力も何も響かない

人に相談して
生活保護なんて安易に口にされるのも
正直うんざり
(いつぞや自分の投稿で発言もしたが)

本人の無行動と
無知からくる居直り逆ギレのせいで
国の制度でも面倒がみられないだろう

世の中気持ちだけで幸せになれるほど
甘くないことを思い知れ
行動が全てなんだよ

「いざというときはいなくなって死ぬからね」
って昔から神妙な面持ちで言ってくるが

いざというとき=
子供に捨てられたとき

でしょうが。
自分を人質にとって脅せている気でいるが
もうその手には乗れないかな。

そのいざというときに
死のうが死にきれまいが
知ったこっちゃない。

そんな時ですら貴女の死の後始末をする
周りの苦労を考えられないところで

十分に義理を欠いている自覚がないということ

面白すぎんか

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