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認知症が相当進んでいて、服も汚れたものを着せられたままでの参列でした

デス書き込み

報告が遅れましたが、昨年末に毒父がやっと亡くなりました。死神様ありがとう。
家族がストレスで全員体調を崩してしまいやむなく逃げるように引っ越したものの、その後も何かと問題を起こしては夫が度々(運転できるのが夫しかいないため)呼び出され、引っ越し早々クビ同然で主人は新しい勤め先を退社に追い込まれるなど、毒親の介護という魔の手からはなかなか逃れられませんでした。
とはいえ、あれから数ヶ月。最初の頃は冷やかしで見舞いに来ていた友人や親戚たちからも次第に見放され、母は別の施設へ。もはや自力ではほとんど歩けない状態だったのに、しばしば癇癪を起こし介助の方の手を振り払って歩き出したかと思えばすぐに派手に転んでまたまた骨折(何度目かもう忘れるぐらい折ってた)するなど本当に見苦しい日々だったようです。最後の最後まで老いを受け止めることをできずに、もがき、喚いて、繋がれていた点滴の針も自分で引き抜くなどを繰り返して、危篤との連絡で病室にかけつければ、誰もいない個室でバイタルサイン?(なんか心拍とか血圧とか表示されているオシロスコープみたいな装置のあれ)がツーーーーーと直線になっていて。夫と二人で「え、これって……既に死んでるんじゃ……」と困惑していると少し遅れて入って来たナースが慌てて主治医の先生を連れてきて、はい、終了。
危篤の連絡受けてから私達が病院に着くまで2時間はあったと思うのですが、誰もその間、死んだことに気づきもしなかったという。
まあ、さんざん身勝手に振る舞って来た人ですから最後は誰にも気にかけてもらえなかったんでしょう。
葬儀には別の施設に入所中の母も呼んだのですが、認知症が相当進んでいて、服も汚れたものを着せられたままでの参列でした。しかも、数週間後に事務手続きで夫が母の施設に寄り、少し話をしたら、父が死んだことも、一緒に葬儀に参加したことも綺麗さっぱり忘れていて「えっ、お父さん死んじゃったの?いつ?」と驚いていたらしいです。
この調子ですから、毒母も毒父と同様に、私にはありがとうもごめんなさいもなく死んでゆくのでしょう。
とりあえず、今は少し肩の荷がおりたような感じでいます。子どもに酷い扱いをすれば、親はいずれ報いを受けて情けない死に方をするのだなと思いました。バランスはちゃんと死神様が公平にとってくれるようです。

死神様、皆様、ありがとうございました。
父は亡くなりましたがまだ毒母が生きておりますので、また理不尽なことがあればこちらに恨み節か何か書かせて頂くかもしれませんので籍は残したままにしておきます。

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