認知症窮まる女帝はまたも、医療機関憎しの妄言を俺に延々と押しつけやがった

デス書き込み

正月休みだろうと女帝と二人きりになれば、安寧は狂気に必ず変わり、「介護」という名の絶望に叩き落される。
正月三が日女帝と一緒に出掛けることになったが、それが間違いだった。
認知症窮まる女帝はまたも、医療機関憎しの妄言を俺に延々と押しつけやがった。
女帝の不満は全部俺一人に押し付けられ、移動中の車の中だから助けを求めることもできない。

家に帰るまでの間延々と女帝のはけ口にされて、俺は耐えながら運転し続けるしかなかった、もうだめだ、天は我を見放した。
女帝の身勝手な医療機関憎しの言葉は、医療機関と何の関係もない俺に延々と向けられ、俺はまたもサンドバッグ状態だ。

一部書き出してみると、こういうことだ。
以前のデス書き込みで書いたように、透析中の親父がその病院にそのまま再入院することになった。
なかなか退院できないことを、「入院で患者を留め置けば留め置くほど病院は利益を得ることができ、稼ぎの種になる、そしてその体制を国がバックアップしている」という。
そして、病院に入院している間にあらゆる薬物を注入することにより、活気を奪い活動する気力を削いでいく。

これらを延々と俺に主張し続ける、そうして一体何になるというのだ?
俺に病院に忍び込んで親父を連れ出せとでもいうのか?
親父の現状を最も理解していない女帝が、何を俺にやらせようというのだ。

これにより、俺の正月三が日の最後の一日は、狂気と絶望に染められてしまった。
俺は、自宅に女帝を無理やり降ろして、一人でファミレスに行き、ノートPCからこのデス書き込みを行っている。
その間、このデス書き込みでやっていたことは、介護に関するメンタルの検索だが、答えはすべて「永遠に耐え続けるしかない」というありさまだ。
耐えた先にあるものは、「自殺」「暴走他殺」「未来永劫に絶望」くらいしか思い浮かばない。

昨年、この「認知症」と「介護」というワードのせいか俺は人間が嫌いになった。
コールオブデューティー2のウラジミル・マカロフになっていてもおかしくないくらいだ。
(検索で、「津波ボーン」「No Russian 」を検索すると分かるかもしれない)

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