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私は親に愛されているし望まれて生まれてここにいると信じて自分に言い聞かせてきた

デス書き込み

父親には死んでほしい以外望むことは無い。以前は苦しんで苦しんで後悔と自責の念に苛まれて絶命してほしいと思っていたが、今は早く死んでくれるなら事故でも何でもいい。そう思うようになったのは忘れもしない2018年11月8日。仲良しな父娘特集がテレビで流れ、その娘と私を比較して「お前は生意気だ、親への感謝が足りない、親孝行しろ」等々いつもの鬱陶しい戯言が始まったので適当に流していたらそれが父の癇に障ったのか「お前は失敗作だ」と言われた。嫌いながらも私の中で父に対してギリギリ保っていた善良な気持ちが崩壊していくのを感じた。同時に縋るように信じるように自分に言い聞かせるようにしてきた親からの愛情が私の中で全て無になった。どんなに傷つけられても親は親、唯一無二の肉親は敬い大切にすべきものと思い、新卒で自立して2年余りの時に祖父母の介護に苦しむ家族の為に自分のキャリアや人生設計を捨て、介護離職までしたのに全てが打ち砕かれたと感じた。

幼少期から父親の言う「愛情」に疑問を感じていた。友達の親とのエピソードを聞くたびにうちとは違うなと思っていた。幼少期、それを親に伝えると「よそはよそうちはうち、隣の芝が青く見えるだけだ。よその家庭が子供に甘すぎるだけだ。厳しくしつけないとろくな大人にならないんだ。お前はこんなにも良くしてやってるのに文句があるのか」と一蹴されていた。衣食住には困らなかったし、あくまで両親が行きたい所だが家族で外食や旅行も行った。はたから見たら良い家庭に見えていたと思う。しかし「口で言ってわからなければ馬鹿な犬と同じだ、体で覚えさせる」と言って理不尽に折檻されることも多かったし、大切な物を取り上げられ目の前で壊される事も多かった。
父は決して愛情が無いわけではないが、子供より自分が最優先なのだろうと思っていた。人間は皆自分が一番かわいいからそれは仕方の無い事で、子供の事は2.3番目に大切で愛情はあるはずと思っていた。だから二十数年感、自尊心を傷つけられ人生を狂わされて心から死にたいと思っても、私は親に愛されているし望まれて生まれてここにいると信じて自分に言い聞かせてきた。しかし「失敗作」の一言で本当に全てが崩れていった。そんなことはないとずっと自分を洗脳していたが、父は私を一人の人間として愛してなどいなかったんだと確信した。親の言う「愛情」は私の欲していた「親から子への健全な無償の愛」などではなく、自己中心的なエゴでありそれは私からすればただの「呪い」だったと気が付いた。
それ以来、父を親だと思えなくなりただただ私を傷つける敵でしかないので早急に死んでほしい。敵と同じ空間にいては安心できない。

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