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ガキの頃からあの汚物が帰ってくる夕方が怖くてたまらなかった

デス書き込み

学もなく、人格も最低、金もなければ身体的にも審美的にも劣る汚物。貴様に地獄を見せてやる。

物心ついた頃から暴力と暴言が毎日のように続いていた。人生で最初にある記憶は髪を掴んで引き摺り回され、壁に頭を叩きつけられた記憶。その後も気に食わないこと(明らかに子どもが理屈としては正しいことを主張するなど)があると殴る(本人曰く触っているだけ、ギャーギャー泣くな、とのこと)、怒鳴りつける、ものを投げつける(リモコンが頭に当たって流血したこともある、食事中に激昂して皿や箸が飛んでくるなど日常茶飯事、テーブルひっくり返してもいた)、物置に閉じ込める、極寒の日(北国)に外に投げて放置する等、今なら警察と児童相談所が動くことばかりしていた。「誰が育ててやったと思ってんだ」いや、あなたに育ててと頼んだ覚えはありませんが。選べるならこんなクズの元は誰も選ばん。ガキの頃からあの汚物が帰ってくる夕方が怖くてたまらなかった。ピアノを始めた時も散々ボロクソに言われた。こんなことして金かけてなんの得になるのか、と。小学6年の頃に「本当の親はどこにいるんだろう」と書いて机にしまっていた記憶がある。見つかってボコボコにぶん殴られた。そのくせ無理矢理連れて行かれたキリスト教系のカルトで「うちがどれだけ恵まれているか皆さんに証しなさい」と言われる地獄。礼拝という名のいい人ごっこが終わって帰宅すれば暴力の嵐。てめえ週一で祈れば救われると思ってんのか?

中学に入ってからは人格を踏み躙る暴言がさらに悪化した。自分がやっていたから、というくだらん理由でやりたくもない野球をやらされた。サックスを吹きたかったのに「男のくせにそんなこばくせえものに興味持ちやがって」と言って興味を全否定された。そのくせ道具に金を出すのは惜しみ、グローブは使っていたボロボロのものを渡され、スパイクは買ってもらえず試合に出されなかった。ユニフォームを買う金すら惜しんでいた。なんでこいつの自己満に付き合って嫌なことやってんのに顧問からも怒鳴りつけられなければならないのか、と思っていた。理不尽すぎる。
テストで9割取っても罵倒された。「おめえなんで80点代があるんだ?やる気あんのか?誰のおかげで勉強できてると思ってんのや?ピシッとしろ!」と恫喝され、胸ぐらを掴んで壁に叩きつけられたり、殴られていた。長時間正座させられて自分のダメな点をできる限り言え、とも言われた。その度に心のスイッチをオフにして耐え忍んでいたが、正直あの時点で限界を超えていたと今になっては思う。こいつに褒められたことは一度もない。県内一の進学校に中3の冬だけ塾を使って行ったのに「金の無駄になる」「誰が金出してやってると思ってんだ」などといつもケチることしか考えていないようだった。高校入試で志望校に合格したからギターを買ってもらったが、買ったその帰りにエレベーターの入り口でショルダータックルを喰らい、新品の楽器に大きなヒビが入ったのを覚えている。あれはショックだった。人の幸せを踏み躙るのが趣味らしい。

ちなみに自分は割と体調を崩していたが(常時ストレスに晒されていたらそうなって当然)、かなり悪化するまで放置されてから病院に連れて行かれることが多かった。そこで医者に手厚い保護をしているアピールし、いい親と思われるのが好きだったらしい。当然歯医者にすら行かせてもらえず口の中はボロボロだった。

高校は進学校に行ったが、偏差値38の高卒が読めるカルトの本しかない知的土壌の貧弱さと、親の機嫌が全てで論理などどうでもいい、でもテストは完璧じゃないと暴行を加えられるという環境で育った人間がのびのびと知的好奇心を持って活躍するはずもなく、苦しい毎日だった。加えて、これまでの経験で中年男性は気に入らないことがあると殴ってくるもの、と身に染み付いていたので、教師が殴ってくるかも、と考えると毎日恐ろしくて仕方なかった。みんな親切な先生だったのに。一回ボコボコにしてやったら暴力は無くなったが、暴言は続いた。加えて金をケチるのがさらに悪化した。月¥3,000でバス代も昼食代も賄わなければならず、自転車で通学強制(10キロ以上)、携帯は通信量が¥3,000を超えると翌月まで使用できないようにされて友人との連絡も絶たれていた。着たい服もあったのに例のカルト教会からもらったクソダサいお下がりばかり着せられ、ロクにおしゃれもできなかった。制服のない高校だったし余計キツかった。音楽でいい出会いがあり、進路選択は音楽方面で行きたいと思っていたが、当然のように「またこばくせえものに興味持ちやがって、そんなので食っていけるわけねえ、お前の行く大学はそこじゃねえんだよ!」と人格ごと全否定。楽器を習うのも禁止。禁止されるほどやりたくなるってわからんのか。頼んでもいないのに、友達と部活やってたりライブしている時に迎えに来て無理矢理帰宅させられ、死ぬほど恥ずかしい思いをしていた。大雪の日に自転車で通学させられてインフルエンザになったこともある。行きたくもないのに医者の子どもと比較されて(自分は高卒のくせにな、じゃあお前も医者になれよって感じだ)、医学部に行けと強制。浪人もしたくないのにさせられ、地元の医学部しか認めないと言われていた。

クソどもから逃げるように首都圏へ進学して移り住んだが、仕送りは実質月¥12,000。奨学金を借りようとしたら「返せるあてもねえくせに!借りるな」。しかも「これ以上は金は出さない」。やむなく週7バイトで稼いでいたら「これ以上稼いだら扶養から外れて損をするから働くな」。これは直訳すると「死ね」にしか聞こえないのですが。何ヶ月も水に溶いた小麦粉を焼いたものしか食えず、体重は50キロ代だった(身長は177)。就職に必要な免許代すら惜しみ(別の兄弟には車を買い与えたのに)、上場企業三社だけ就活したがどれも最終面接で「え?免許ないの?」と聞かれた。多分落とされた理由と考えてもいいのでは?しかもこの時家を買っていたり(当然一千万以上)、庭の整備(友人曰く200万以上)をしていた。なんでその金を俺には使えない?
一度結婚したが、その時に一応電話した。第一声は「裏切り者、俺とお前はそんな関係でしかなかったのか」。は?ガキをサンドバッグがわりにしていたくせにまともな関係が築けているとでも?本当におめでたい頭で何より。

ブラック企業に就職したもののジリジリと追い詰められ、うつ病になり(多分中学時点でうつ病だったと思うが)、手札もなくなり、一か八かで医学部を再受験してたまたま合格したが(受験前日に自殺しようとして救急のお世話になり、安定剤を限界まで打って頭がぼんやりしたまま受験した)、その時も金銭的なサポートはなく、古本屋で買った参考書だけで勉強していた。センターの出願書類を見て「この親不孝者!」と激昂していた。行けと言っていたくせにわけわからん。

再入学した大学では頑張って勉強していたが(全学で成績ベスト4に入って総長から表彰された)、ガキの頃に「解けないものがあると逆らえない巨大な暴力に殴られる」とインプットされていたのが目を覚ましたのか、勉強しているだけで具合が悪くなり、うつが再発、ついにテスト中に倒れて休学を余儀なくされた。いつまでも自分の人生を邪魔してきやがる。

長くなったが、このクソ野郎はただ殺すだけでは生ぬるい。
ただ死ねとは言わない。耳と鼻と唇を削ぎ、歯を全て叩き折り、顔面の皮を剥ぎ、両手両足を切断し、まともな社会生活が送れないが自分で死にたくても死ねない状態で地獄を味わせたあと、日本刀でめった斬りにしてじわじわとなぶり殺したい。それを10000回味わせたい。何度殺しても殺し足りない。しかし自分ではやれない。だからここに書く。書かなくてもいつか自業自得で苦しむだろうがな。

過去から決別して今後生きていくためには精算が必要だ。ゴミみたいな扱いをされたからこそ絶対に他人にそうはしたくない、むしろ困っている人を助けたい。そう思ってやり直したのに志半ばで折れるのは勿体なさすぎる。皆様、こんな私ですが「やり直せればいいね」と思ってくださったら、いいね押してくださいませんか。

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