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私は損な性格だ。もっと鈍感でいられたら、母から「かわいくない」なんて言われずに育ったのかも知れない

デス書き込み

毒親ノートに書き込んで気づいた事がある。10年前に結婚した夫は親から愛されて育った。今思うと溺愛のキモいレベルなんだが、当時の自分は理想の家族に見えた。
ああやって愛情を注げば夫のようないい人間に育つんだと本気で思っていた。今思えばなんて純情なんだ(だって当時の私は21歳)結婚して、私もこの人たちの家族になってやっと正常になれる、普通の幸せな家族の一員になれるんだって思って、義母が家具や電化製品、結婚式に子育て、旅行。根掘り葉掘り手をだしでしゃばってきたけど全部言うことを聞いた。子供の食事にも張り切って自分の食ったスプーンでそのまま食事を与えた時は流石にゾッとしたけど。(そのせいで息子は虫歯になったんだと今でも本気で思ってる)それが正しい家庭の築きかたであるように義母のやり方を尊重した。自分でもピュアな嫁だったと思う。実際外で義母といるとき「いいお嫁さんね」と何度か言われた。それが誇らしかった。しかしその度に義母は曖昧な表情を浮かべ否定的な感情を隠さなかった。
年々歪みが生じる。義母は明らかに私を夫や息子と差別化していた。40歳の息子の為にみかんの皮をむかせ、食事に呼ばれても私の皿には肉がない。虐待なんてしてないのに虐待のテレビを見るとあたかも私が息子を虐待したような口振りで「あなたがあんなことしたら絶対許さない」と言い。その他諸々。マザコン夫は当たり前のように義母の味方で「母さんを好きなのは当たり前だ」と堂々と公言する。別にいいけど、無性に悲しくなる。
そういえば私は生まれた時から孤独だったと思い出した。誰も私を愛してはいない初めから。今後も正常な家庭に恵まれる事はないだろう。愛されて育った人を羨むつもりはない。成人式の着物や、リクルートスーツ、運転免許の取得。姉と妹は全て母から与えられたのに、嫌われていた私は全部自分で工面した。高校も中退した。大学へ行かなかったのは、小さい頃からいつもお金が足りないとぼやいていた母を楽にしてあげたかったから。(でも姉は親のお金で大学卒業後に専門学校へ行った)結婚式でもウエディングドレス姿の私よりも、妹の振り袖姿を母はずっと褒めてた。せめて自分で自分を愛してあげたい。好きな事を自由にやったらいいと思って生きてる。
私は損な性格だ。もっと鈍感でいられたら、母から「かわいくない」なんて言われずに育ったのかも知れない。
もっと実家に頼る人がいて、もっと愛されている人間なら、義母や夫からもう少し大事にされたのかも知れない。
いつ死んでもいいと物心ついた時から思ってきた。ステージ4のガンが見つかった父が羨ましい。私なら治療せずにそのまま死ぬ。父は昔から家にいなかった。家にいるときは暴れるか怒鳴るか殴るか外に閉め出されるかしかしなかった。単身赴任してからは愛人を作ってた。高校生の時、お風呂に入ってたら父が急に帰って来て突然風呂場のガラス扉を蹴破り、私はその破片で流血した。そんな父親。今の職場の先輩は親に愛されて育った人で、癌の父に食事や空気清浄機を送るようアドバイスをくれる。そのようにしてしまう私はやはりお人好しだ。兎に角、私を傷付ける周囲の人間が大嫌いだ。そんな人間にしか恵まれなかったので、今では人類全てを憎んでいます。

1 デスコメント 37

デスコメント ( 1 )

  1. 確かにね。同様の親子関係で育ち、同様の相手家族に堪えきれず離婚した私も、人類すべて嫌いです。

コメント